運用するのは人間

著作権問題で、昨年度出題の評論文をweb上から削除せざるを得なくなるなど、苦労の続く大学入試センターだが、こんなニュースも。

<受験番号記入ミスを救済 大学入試センター
http://www.excite.co.jp/News/society/20060525113255/Kyodo_20060525a414010s20060525113258.html

受験番号の記入ミスなどをした受験生を零点とはずに、きちんと割り出して採点してくれていたとのこと。とかくマークシート型のテストはコンピュータを使用することからか、人間性をないがしろにするものであるとの批判を受ける事もあるが、やはり運用するのは「人間」なのだ。

法律も権利もコンピュータも使うのは人間だ。0と1だけで全てを白黒つけるだけならば、人間は不要になってしまう。0と1だけのデジタルな思考を超えた発想ができることに人間の価値がある。入試過去問と著作権の問題も同様だ。そもそも0と1を超えた何かを表現するのが劇作家さんや詩人の目指す所だったのではないですか…? この入試過去問の著作権問題を考え、評論の削除された赤本を眺めながら、このニュースを耳にした僕は、ふとそんなことをつぶやきたくなった。

当blogの主旨はこちら↓
http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060201

【このニュースについて語っているblog】
*僕が共感できた方々中心にリンクします。

早稲田政経で大学作成の文章が出題!

以前に「書きおろしの文章集は作れないのか?」という記事の中で、入試のために大学側が文章を書き下ろすべき旨を書いたが、2007年度版の赤本で確認したところ、どうやら早稲田大学政経学部は遂に「大学作成の文章」を入試に出題したようだ。

入試に向けて書き下ろされたと思われる文章は全3問中の3問目。「知のあり方」「科学史」「真実の相対性」などについて、論じた文章で、まさに入試現代文の頻出テーマを扱っている。

今回の早稲田政経においては、さらに「長谷川天渓が大正三年に執筆した文章」が出題され、これまた僕が以前に書いた「没後五十年の作家を中心とした出題を」を満たしてくれる傾向となった。

早稲田政経は従来、現代作家による、やや難解な評論文を出題の中心にしていた。だが、2000年以降、明治期の文章が出題されるようになり、そして今回遂に「書き下ろし」での出題が行なわれた。この傾向の推移にはどのような理由があるのだろうか。著作権問題が関連しているのだろうか?

いずれにせよ、この早稲田政経の出題傾向は今後の入試現代文の姿の一つの型と成り得るものであると思う。このような出題傾向が大学入試全般に強まっていけば、入試問題の著作権をめぐって作家と無駄な争いをする必要はなくなり、教育現場における混乱も避けることができるようになるだろう。これはこれで歓迎すべきことだと思う。

センター国語第1問はネットでも入手不可?

やはり評論の載っていない赤本が出た!」という記事の中で先日、センター国語第1問をインターネットでダウンロード可能との旨を書いたのだが、あれこれ調べてみて驚愕の事実に出会った。


本家「大学入試センター」のwebサイトにおける「平成18年度センター試験問題・正解」のページから、国語の問題をPDFでダウンロードしてみたのだが…。
http://www.dnc.ac.jp/center_exam/18exam/mondai_pdf/18kokugo_q.pdf


なんと33ページ中の2ページ目から4ページ目にかけて、本来、別役実氏の文章が掲載されているべき部分が「この部分につきましては、著作権の問題により、公開できません」とのコメント付きで「白紙」となっていた!!


ついにここまでやるようになったのか!! 幸い僕はセンター実施時点で問題自体は自分のコンピューターのHDに保存してあったので、自分の研究材料としては2006年のセンター国語第1問を捕獲することはできている。


しかしながら、今度ばかりは担当している生徒達の不安そうな顔が容易に想像ができる。2006年度は新課程の1年目であったので、参照できる問題は2006年のものしかないのだ。


「先生、去年のセンター試験ってどんな問題だったんですか?」


そんな質問に僕は答えなければならないのか。ただでさえ不安に陥りがちな受験生達。特にセンター試験をもって、その年の入試のスタートとする者も多く、また「センター試験での失敗」によって、自信を喪失し、それ以降の入試において自分の力を発揮できない生徒もいる。


このblogは入試における著作権問題を主題としている。でも今の僕の頭の中は「努力はしている、頭もいい、けれども気が弱いあの子」をいかに不安に陥らせないかという事に、占領されている。僕は日々現場で生身の人間達にむかって授業をしていかなければならない。あの子らに「これまでのベスト」を出させてあげたい。


大人の都合は早く終わらせよう! そこまで要求するなら「日本ビジュアル著作権協会」は早く「大学入試センター」でも「文部科学省」でも訴えて決着つけたらどうだ!? 大手予備校や出版社は団結して「日ビ」と闘うつもりはないのか? 教育産業の端くれとしての自負を持って、堂々と闘うことは出来ないものか。受験産業界にできることが「たかが一講師がblogでグチをこぼす」だけではあまりに悲しい。


下記サイトを情報元とさせて頂きました。
http://blogs.dion.ne.jp/yohaku/archives/3265630.html


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やはり評論の載っていない赤本が出た!

以前に「評論の載っていない赤本?」という記事で予想した通りに、2007年度版のセンター国語の赤本から、評論の第一問の別役実『言葉への戦術』が「編集の都合により」というコメントと共に省略されてしまった。(ちなみに本文と問題は割愛されているが、解答・解説だけは収録されており、なんとも奇妙な作りとなってしまっている。)


同様に学燈社の「全国大学国語入試問題詳解」でも同じく、センター国語の第一問は掲載されておらず、「第一問は非公開」とのコメントがつけられている。


いよいよこの日が来てしまった。多くの受験生が本格的に過去問を購入して演習をするのは、夏から秋にかけてだと思うので、まだ現時点で大部分の受験生はこの事実に気づいてないだろう。混乱が始まるのはもう少し後になるであろう。

一応、ネット上ではダウンロード可能なので、評論第1問が全く手に入らないわけではない。
http://www.yomiuri.co.jp/nyushi/center/06/1/exam/342/1.htm


だが、インターネットの使えない環境の受験生はどうなるのだ? 過去問の入手も演習もできないのか? まさにデジタルディバイドの問題が起こって来る。


一方、ここまでの事態が起こったことによって、この著作権問題の深刻さが、幅広く人々に認知されることにつながるかもしれない。もしテレビなどが積極的にこの問題を取りあげていくことになれば、現在のいろいろな意味で極めて歪んだ状況が世間に知られることになるだろう。


ただ、もしマスコミが報道することにでもなった時には、世論を特定の方向に操作するような形での取り上げ方だけはして欲しく無い。作家側、塾・予備校・出版社、さらに受験生などの見方をそれぞれ冷静に極力客観的に報道してくれることを望む。

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早稲田一文の問題が…

河合塾が早稲田一文の国語をweb上で公開していません。代ゼミは第一問以外は公開しているので、第一問の出題作家に著作権上問題が? 出典だけでもどなたか、教えて下さい!

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入試過去問と著作権

大学受験を体験した者ならば誰でも知っていると思われる入試過去問集「赤本」が訴えられた!

http://www.jvca.gr.jp/news/news04/jvcanews04_06.html

これは塾・予備校などに携わる者には非常に大きな衝撃となった。だが実は既に赤本が訴えられる以前にその予兆となるような動きはたくさんあった。下記URLを見れば、赤本に至るまでに様々な塾・予備校・教育系の出版社が訴えられていたことが確認できる。

http://www.jvca.gr.jp/news/index.html

この動きのせいで、長文の削除された国語過去問集が作られたり、また国語の入試問題集の出版を取り止める出版社も出ている。また塾・予備校では受講者に対して過去問対策を行なうこともままならず、指導上で様々な問題が生じてきている。

日本ビジュアル著作権協会」という団体の主張をひと通り読んだ上で、僕はこの問題については、「日本ビジュアル著作権協会」は、「やり過ぎだ」という感を持った。下記ブログでも同様のことを思っている方がおられるようだが、

http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2005/04/post_7f94.html

正直言って、「そんなところからも金取りたいのかよ?」というのが、僕の「感想」だ。あんまりケチなこと言わないで、使わせてやればいいじゃないのかなと思う。入試問題で作品と出会ったことによって、実際に本を買うという動きをする者は多いが、それによって本来売れるべき本が売れないという事態は想定しづらい。宣伝にこそなるが、著書の販売を妨げる要素はないと思われる。

だが、これまでの裁判の動きなどを見る限りでは、塾・予備校側の旗色はあまり良くないようだ。確かに「法律・権利」ということを考えてみれば、資本主義のこの世界では仕方ないことだ。僕は「著作権を放棄せよ」などと言うつもりはない。

だから、これが時代の趨勢であるならば、それを受け入れた上で、この機会に大学入試の国語の出題の形式を抜本的に改革してしまってはどうだろう。(ここが僕の「主張」だ。)もしこのまま「入試で出題された文章が過去問として入手できない」という事態が続けば今後の日本の国語教育の根幹を揺るがすこととなってしまう。ならば、いっそのこと、もう著作権侵害の可能性を含む現代作家の文章を出題することを止めてしまえばいい。それを補い、より教育効果の高い他の出題形式を取ることも可能だと思う。学力低下、教育格差、ゆとり教育愛国心、美しき日本語…などの昨今の日本の教育における諸問題と合わせてこの問題を解決して行ければそれに越したことはないではないか。

以下にこの問題における僕の思う所を記してみた。引用、リンク、賛同コメント、反論コメント、トラックバックなど自由にしてもらって構わない。(大学、塾・予備校、出版社、受験生、作家、政治家…、皆が真剣に考え、よりよい方向を模索すべきひとつの"社会問題"として様々な人達に認知してもらうために、僕はこのblogを立ち上げたのだ。)


没後五十年の作家を中心とした出題を
http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060124


小論文の出題、哲学を高校の必修科目に
http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060125


明治・大正・昭和初期の小説を出題せよ
http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060126


勝手な解釈をするな!というなら…
http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060127


塾・予備校は学校教育の補完として機能してきた
http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060128


評論の載っていない赤本?
http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060129

漢文、明治文語文の出題を増やせ
http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060130

書きおろしの文章集は作れないのか?
http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060131

過去問の著作権についての様々な視点(リンク中心)
http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060120

書きおろしの文章集は作れないのか?

これまで、入試現代文の出題は既存の書物から抜粋を行なう形で作られてきた。だからこそ著作権の問題が生ずるのであり、根本的に仕組みを変えてしまえば、良いのではないだろうか。つまり、各大学において、入試のために文章を書き下ろすのだ。この文章を基にして現代文や小論文の設問を作り、入試終了後は、それを各大学が受験生にむけてインターネット上に載せたり、または入試文章集として製本して販売すればよい。これならば大学が、どのような知識や問題意識を受験生に期待しているのかが解るし、受験生も真剣にそれらの著作物を読むだろう。たとえば東京大学出版会の「知の技法」シリーズは学生の一般教養サブテキストであるが、同じ様なものを高校生にむけて、各大学が出版していけばよいと思う。わざわざ著作権でもめそうな現代作家の文章を大学入試に出す必要はない。

これまでは、大学から受験生にむけて直接情報発信をすることは、流通システムなどの問題で難しいことだったと思うが、インターネットが普及した現在ではそれが可能だ。2007年には大学全入時代を迎えると言われているが、今後はきちんと受験生の側を向いた入試システムを構築した大学が受験生を集めることができるだろう。

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http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060201