入試問題=バナー広告?

「入試問題=バナー広告」というのは、少し大胆過ぎる発想かもしれない。

僕は「著作権でもめる可能性のある現代作家の文章を入試で使うのはやめたらどうか」との提案をしたが、逆に「入試で使ってもらいたい」という作家の方もおられるのではないかとも思う。単純に考えて、自分の名と文章の一部を、受験生に知ってもらうことができ、また、その後何年も過去問として、後の世代の受験生に知ってもらうことができるのは「おいしい」と考えることもできるはずだ。このまま著作権でもめることを避けようと大学や塾・予備校が、現代作家の文章を取り上げないようになれば、貴重な宣伝の機会を失うことになると考える方はおられないのだろうか。

例えば、多くのインターネットサービスは無料で行なわれているが、「有意義なサービスを提供→アクセスup→ネットの上の一等地として宣伝広告を募る」というようなシステムに支えられている。バスや電車が車両本体に宣伝広告をつけることでスポンサー収入を得るという手法はひと昔前では考えられなかったが今では誰も驚かない。ライブドア近鉄買収でその名を広めたように、現代の情報化社会の中では「人に知られている」ということは何よりも大きな財産となる。

大学側は「自分の名・著作を売りたい」と考える新人作家や新鋭の批評家を募ってコンテスト形式にでもして、「発表は入試当日の出題を以って代えさせて頂きます」という形で文章を募ってもいい。ここから新たなる学問の地平を切り開くような論文が生まれることもあるかもしれない。文字ばっかりの本が売れない昨今、駆け出しの新人作家にとっては、このような形であっても自作が若い人達の目に触れる事はありがたいことだろう。

また、出版社などと提携して「出版社が売りたい作家」の文章をいくつか上げてもらって、そこから入試出題に値するものを、積極的に取り上げるという形をとってもいいかもしれない。

入試は公平性に問題が出てはならないし、学問の場にバナー広告まがいの発想を持ち込むことを不快に思われる方もいらっしゃるかもしれないので、これは実現には困難が伴う案であると思う。だが、多くのブロガーが述べているところでもあり、僕自身も体験していることだが、「入試問題で出会った作品を書店で購入する」ということはやはり起こっていることなのだ。そこに間違い無くひとつの「広告効果」があると思われる。国立大学が独立行政法人化され、否応無しに市場原理が導入されていくこの時代。一般企業では当たり前のように用いられている広告宣伝の手法を入試に持ち込もうという発想はないものか?