遠藤周作氏の受験産業屋批判

遠藤周作氏が『狐狸庵閑談』(PHP文庫)という著書の「受験産業屋を批判する」という章で、自分の小説の一部が入試に出題され、自分の解答と模範解答が違っていたとのエピソードを書いている。「文中の主人公の次の行為を、どのような心理で行なったか」という問で、四つの選択肢があり、遠藤周作氏は四つすべてに丸じるしをしたとのこと。深層心理まで含めて複雑に交錯しあった人間心理を「ひとつ」に決めさせる画一的な読み方に対して「抗議したい」と怒っている。

残念ながら何年度のどの大学の設問か不明なので検証できないのが残念だ。僕はこれは設問の作りにどこか問題があったのではないかという気がしている。(情報お持ちでしたら、どなたか教えて下さい。)

この手のエピソードはよく耳にするが、意外と実際の出典はあまり見つからなかったりもするので、この本の記述は貴重だ。僕は「過去問の著作権について様々な視点」というリンク中心のコンテンツに、実際に自分の作品が入試に出題された方々の声を集めている。インターネット、そしてblogが普及することによって、こうやって著者自身の感想を聞くことができるのは面白い。


ところで、この章を読む限りでは遠藤周作氏は「受験産業屋」にかなり憎しみを持っているようだ。特に5歳になる自分の孫が塾通いをさせられ疲れきっている姿を見て、激しく憤っている。


実は、いわゆる「お受験」についての僕の感想は遠藤周作氏とかなり一致している。またこの本を読む限りにおいては、遠藤周作氏のお孫さんの通っていた塾の先生の指導方針にも確かに疑問を感じた。


だが5、6歳の子のお受験のための塾通いと18、19歳の青年の大学受験のための予備校通いとは別問題として扱うべきなのではないか。遠藤周作氏は同書の次の章「日本の学校は間違っている」では塾批判とともに学校批判を行ない、「受験教育」を叩いており、受験ということそれ自体に、かなり批判的だ。


この本は初出「THIS IS 読売1992年5月号〜1994年4月」となっており、まさに大学受験の最も厳しかった時期のものだ。それゆえに時代の空気として「受験批判」が活き活きと書かれているのは理解できる。また今となっては「ステレオタイプ」と言いたくなる記述も多い。


もし遠藤周作氏が現在の日本の「学力低下」「教育格差」などの問題を目の当たりにしたならば、どのようなことを書いたのだろう? あの独特の切り口、視点で我々をうならせてくれたのであろうか? 興味深いところだ。

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