web上の詩の引用

あれこれ検索していて気がついたのだが、web上に詩人の詩をまるごと引用している人が結構いた。試しに、著名な詩人の有名な詩を3、4編検索してみたが、見事に入手できた。上手にやれば「webで拾った日本の名作詩集」などを作ることができそうだ。僕自身は自分のお金で詩集を買ったりする人間でもあるので、やや複雑な気分だ。

というのも、引用している方々の多くは「感銘を受けた」などの好意的な引用なのだが、web上にデジタルデータとして乗った瞬間それはどのように使われるか知れないのだ。もし詩の好きな僕が貧乏になって本屋で詩集を買う金を節約しようなどと思った時には、インターネットを徘徊して、引用されている著名な作家の素晴らしい詩をかき集めて「僕だけの名作詩集」を作ることで、少しばかりお小遣いを浮かすことができるのだ。

好意的な引用であればいいのか? いや、経済や著作権の論理をガチガチに当てはめていけば当然許されないだろう。その引用によって本来払うべき対価を払わないで済ませようとする人間も現れてくるのだ。余計なことだったかもしれないが、問題提起の意味も込めて、いくつかのブログで僕はコメントを残してきた。

でも、その中で僕がどうしてもコメントを残せないブログもあった。それは「私はこの詩によって生きる希望を得た」というような人のブログだ。その人は本当に感謝の意味で、その詩を皆に紹介したい一心で、心を込めて一字一句打ち込んでいるようだった。僕は何も言えなかった。この人の引用によって、その詩人が正当な対価をもらう機会が損なわれている…ここでも、そういった考え方をしなければならないのか!?(悲しいが、だからと言って法から逃れることにはならない。)

著作権の問題は本当に深い。行きつくところ、人間観、世界観までも突き詰めて考えなければならない問題なのだ。

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http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060201