「電車を停めない」=「死刑宣告」

受験というものは、やはり日本では国民的行事なのだろう。


乗り過ごし受験生“救助”JR東日本が温情停車


以前にもこのようなニュースはあったが、なぜか日本人は受験生に暖かい。JRの車掌の行為については、賛否両論だろう。「是か非か」については多くの人が語っているので、僕は「なぜ」という視点で語ろう。

自分がもし車掌の立場にあった時、実際に停めるかどうかは別として、少なくとも「停めるべきでは?」と、一瞬は考える人が多いのではないだろうか。これが会議に向かうオッサンとかだと「停めるべきでは?」のパーセンテージは大きくさがり、デートに向かう青年であれば、もっと下がるだろう。


やはり日本人の多くにとって、人生の中で「受験」というのは大きなひとつのイベントである。受験生である時期は人生で貴重な本気で勉強にとりくむ時間であり、入試本番はそのゴールとして位置付けられている。何より「大学受験=人生を決めるもの」という意識が、日本人の心理のどこかにある。だから「電車を停めない」という判断を下すことは、あたかも一人の人間に「死刑宣告」をするような気まずさを伴うものだろう。

たった一日の行動や結果でその後の人生が決まる現行の受験制度。(中国の科挙みたいに何日も軟禁状態になるのも嫌だが。)受験生があたかも戦争へとむかう兵士のように見えてしまい、「何か特別なこと」をしてあげたくなる気持ちになるのではないか?

良くも悪くも日本の現状において「受験」は特別なことなんだなと改めて認識させられた。このblogのテーマである「入試過去問と著作権」の問題とも、関わっているようないないような気がして、このニュースについて僕も語ってみた。

【このニュースについて面白い視点で論じているblog】
*見つけ次第順次追加していきます。