過去問や問題集による学習

憂うべきことかもしれないが、日本人が一番勉強するのは、大学生の時よりも、受験生の時であると思う。この際、過去問や過去問を基とした問題集を使用する。(これは国語に限らず他の教科も同様である。)そして、読書をする習慣の乏しい日本の少年少女が評論や小説を最も真剣に読むのも受験生の際に過去問の演習を通じてのことであると思う。著作権の都合によって過去問の使用ができなくなることは、そんな貴重な時期の学習に支障をきたすことにもなり、日本の国語教育にもマイナスとなるだろう。

「教養としての大学受験国語」の著者である石原千秋氏は大学受験国語の中で選ばれやすい文章として、「受験生の心に残る文章であること」という点をあげ、「入試問題は、合格した受験者だけでなく、不幸にも不合格になった受験者にも真剣に読んでもらえる唯一の文章なのだ」と述べている。

過去問や問題集に真剣に取り組み、なんとか自力で読み進むことができるように悪戦苦闘する中でかろうじて日本人の国語力は今までの水準を保ってきたとも言える。もし現代文の過去問が使えないということになったら、将来の日本人の国語力はどのくらい低下するのか、恐ろしくなる。

受験生も指導する側も過去問や問題集に依存した勉強にあまりに慣れ過ぎている。これまで培われたノウハウが無駄になってしまうのも、もったいないことだと思う。もし過去問や問題集の使用が不可能であるなら、それを補うための何か新しい形の国語教育を真剣に考えていかねばならないと思う。

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