純真なる食えない人々

日本ビジュアル著作権協会」で赤本などを訴えている人々の中には、およそ、そのような生臭いことをしなさそうなイメージのある人達も多い。この点について「この人達はその名がよく知られている割には経済的には恵まれていないのではないか」との仮説を立てた人がいる。

言われてみれば、確かにそんな気もしてしまう。詩人、劇作家、児童文学、民話研究など(意外に大学教授などの立場についている人物はほとんどいない)、確かに「食えない」雰囲気を感じるジャンルだ。彼らは自分の「本職」では充分に稼げていないのだろうか。これだけ有名な人達なので、まさか全く食えないという程ではないだろうが、世間でイメージするほどには恵まれない生活を強いられているのかもしれない。そんな状況でどこかの誰かに「先生はもっと稼いでいいはずですよ」などと焚き付けられて、入試過去問に関連した訴訟にその名を列ねることになってしまったのではないか。そんなことを想像してみたくなる。

もしそうであるならば、日本は本当に文化的に貧しい国であると思う。その身を削って文筆に携わって、素晴らしい作品生み出した人達が「食えない」状況にある。だが、その不満の鉾先が真先に受験生や教育業界に向くならばこれもまた情けない事態である。

日本ビジュアル著作権協会」のサイトによれば、「知的財産権を守る議員の会」というものが立ち上げられ、「知財立国」にむけて活動を行なうとのことだ。

http://www.jvca.gr.jp/news/newsview.asp?id=105&parent=1

しかし、本来政治家達のやるべきことは「純真なる」詩人達を焚き付けて訴訟へと駆り立てる方向に乗ることではなく、彼らの作品がもっと売り上げをのばして本職でキチンと食えるように、お小遣いを「詩集を買う」「演劇を観に行く」という方向に使うような子供達を教育できるような国を作り上げることではないか?

知財立国」が時代の趨勢であるのならば、それは認めよう。だが、「詩を読もう」と思う人間のいない国では詩人は生きていけない。政治家達には詩人の権利を守る方向に動くのであれば、詩人という存在の需要を確保するような活動も行なってほしい。


当blogの主旨はこちら↓
http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060201