塾・予備校は学校教育の補完として機能してきた

自分の文章を塾・予備校で使われることに抵抗感を持つ作家の方々の中には「塾・予備校は受験テクニックを教えるだけの卑しい空間である」との認識をされている方もいるようだが、僕は「塾・予備校は学校教育の補完として機能してきた」と考えている。

このブログを書いている僕自身は団塊ジュニア世代で、もっとも大学受験生の多い時代の人間である。浪人人口も非常に多く、僕自身も浪人を体験し、予備校へと通った。高校時代の僕は勉強への意味も見出せないまま、窓の外ばかり見ている日々を送っていた。まともに勉強へのやる気も持てぬまま何となく受けた大学受験。結果は不合格で、なんとなく予備校へと通った。

だが、当時の予備校は非常な活気にあふれた空間だった。学生運動崩れの元全共闘講師、大学の先生によるアルバイト、専業のタレント講師、いろいろな講師がいたのだが、どの先生も学校の先生より、はるかに僕の知的好奇心をかきたててくれた。僕は予備校で初めて学問の面白さに気づかされたのだ。(だからこそ僕は学校の先生ではなく、塾・予備校の先生として働いている。)

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