小論文の出題、哲学を高校の必修科目に

最近の入試現代文はひと昔前の文芸評論中心のものから大きく傾向を変えて、「現代思想」と言ってもいいほど、哲学・思想系の文章が多い。だからこそ塾や予備校の現代文の授業は「背景知識」を教えテーマについての理解を深めるタイプのものが増え、予備校の現代文の教室は「哲学」さながらの授業が展開されるようになってきている。

確かに、学問を志す限り、哲学や現代思想への理解は必要だと思う。受験生が現代の学問のフィールドにおける問題意識を共有できるかどうかを検証するための重要な踏み絵として現在の入試現代文は機能しているという側面も否めない。また塾や予備校が、高校生や浪人生のために、学校教育では充分に学べない哲学・思想系の知識を補っていることも、評価していいはずだ。

だが、このまま著作権についての規制が厳しくなっていき、生存中の作家の文章が出題不可能となれば、当然、「現代の」学問において問題とされている哲学・思想系の事柄について「現代文」で問うことが難しくなるだろう。

だからこそ「小論文を大学受験において必修とすること」を提案したい。課題文を読ませる方式であれば、前もって著作権についてオープンな考えの著者の作品を課題図書を指定しておく方式にしてもよい。(例えば、法政大学では前もって課題図書を読ませる方式の入試をすでに実施している。同大学では著作権に問題が生じないと思われる作家が積極的に選ばれているようだが。)もしくは、大学教員による書き下ろしのものを使用してもよいだろう。また早稲田大の人間科学でかつて出題された『次の五つの語句をすべて用いて一貫性した意味のある考えを論述し、表題を記しなさい。"脳・感情・人間性・技術・適応"』などのようにキーワードを出して論じさせる形式でもよいし、「デカルト心身二元論について論ぜよ」というような出題でもよい。

日本では「哲学」は必修となっていないが、例えばフランスでは高校で「哲学」が必修となっている。他の多くの国でも大学で「哲学」を必修にしている。いっそのこと、日本でも、国語という科目の中で哲学・思想めいたことを補完することは止め、「倫理」「現代社会」等を統合して「哲学」の授業を行なってはどうだろう。そしてその「哲学」という科目の中で扱われている問題を入試小論文で問う形にすればよいのだ。

下記blogを参照したところ、中学入試においても同様の傾向があるようだ。

瀬戸智子の枕草子 http://ts.way-nifty.com/makura/2004/12/post_52.html

当blogの主旨はこちら↓
http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060201